スティーブン・キング史上最悪の密室 「ジェラルドのゲーム」

ジェラルドのゲーム

 「ジェラルドのゲーム」Netflixにて公開されました。スティーブン・キングのキャリアのうち80年代後期に集中して書かれた、超常現象のとりわけ少ない――いつ起こるかもしれないシチュエーション、を題材にしたソリッド・シチュエーション・ホラー作品です。狂犬病に羅患した飼い犬に追われ動かなくなった車の中に閉じ込められる「クージョ」、熱狂的ストーカー女に監禁される作家を書いた「ミザリー」と比べマイナー気味の本作ですが、キング原作の中ではトップクラスに好みの一冊です。
 何しろ本作のあらすじは「人里離れた湖畔のコテージ、拘束プレイのため手錠でベッドに固定された最中に夫が心不全で死んでしまい、野犬*1に囲まれた状態からいかに脱出するか」のみ。大抵の作家なら50ページで済ませてしまうネタを文庫で500ページ超、登場人物は移動もままならない中年女性一人――、という、まさにキング自体が自身に手枷をかけたかのような状況のもと、傷口を押し広げ覗き込むかのように、肉体、精神の細部を嫌というほど描写する極めてイヤな内容で、彼の真髄をここぞとばかりに注ぎ込んだ一作となっているからです。そして原作を既読の方ならわかることかと思いますが、それは同時に途方もなく映画化に向かない作品であるということです。
 しかし本作の監督は「サイレンス」のマイク・フラナガン。同作は山中のコテージに住む聴覚障害者の女性が突然襲ってきた正体不明の侵入者に追われ、圧倒的に不利な立場で逃げ、戦うワンシチュエーション・ホラーであり、本作の映画化には確かにうってつけの人材です。目を見張る点は二点。一点は原作から登場人物を程よく削りつつもそのメッセージを損なうことなく、この手があったかと膝を打ちたくなるほど非常にうまく構成し直している点。そしてもう一点は、本作中では解決されることのない要素です。ジェシーが”自分と似ている”と語る井戸の中の女性は、スティーブン・キングの別作品に登場する、ある人物を指しています。

 以下、最大限のネタバレが含まれます。

総評・原作からの相違点

 原作から削ぎ落とされたのは彼女のルームメイト・ルース*2、及び元精神科医・ノーラです。とはいえ、本作の舞台は映画同様湖畔のコテージで固定されているため、彼女らが訪ねに来るわけではありません。彼女らは主人公・ジェシーの心の声としてのみ登場します。本作の白眉は、心の声を「実体化」した役者にそれぞれ演じさせ、かつ一方の「グッドワイフ」、波風を立てずに夫に従い生きる道を説く心の声を主人公に伝える側の人格をジェラルドに統一したことでしょう。このことで、小説版で主人公の意志を代弁していたルースを主人公そのものとし、かつジェラルドを主人公の父親=過去のトラウマと一本化することで、舞台劇的な二項対立が非常にわかりやすく視覚的に表されています。
 このことは更にレイモンド・A・ジューバート――彼はあからさまな「死」のメタファー、超自然的な幻想として描写されながらも実在の墓掘り犯、であることがラストに明かされるわけですが、そのクリーチャー然とした姿を画面にしっかりと映し出しながらも、視聴者には既にジェシーの視点が信用できないということをあらかじめはっきりと伝えてあるため、後半によりその驚きが加速される点にあります。あくまでも謎の人物であり、黒いローブを身にまとうことで彼女にとっての闇の象徴を崩さずに登場した彼が、本作ラストではオレンジの収監服に身を移し、哀れな、ただの頭の弱い者、として描かれています。これは「思っていたより小さい」*3という台詞とあいまって、彼女が過去のトラウマを完全に乗り越えたことを表す効果を生み出しています。
 彼の手錠が壊れていようと、彼女にとってもはや夜の闇は恐れるべき存在ではないのです。
 彼女の鎖は解き放たれ――まさに、キング史上最大といっていい映像的な痛みを伴うものではありましたが――完璧な太陽のもとに歩いていく姿は、非常に爽快な作品として本作を成り立たせています。

謎の赤い井戸の女

 本作中盤、少女時代のジェシーは夢で見た内容として「日食を背に井戸を覗き込む赤いドレスを着た女」について語ります。「彼女は秘密を井戸に沈めた」とも。心の声のジェラルドが問う「彼女は誰だ?」に、「私だと思ったことを覚えている」と答えるのみで、具体的な正体については言及されません。本作のみの中で捉えるならば、日食を現在と過去を繋ぐものとして未来の自分を幻視した、と捉えることもできなくはありませんが、彼女の正体は異なり、ドロレス・クレイボーン。キングの別作品、『ドロレス・クレイボーン』の登場人物です。

 本作は「ジェラルドのゲーム」と同じく父親による娘への性的虐待を扱い、また母親との溝が決定的という点でも非常に似通った二作です。『ドロレス・クレイボーン』は母、ドロレス・クレイボーンが雇い主の老婆ベラを殺したと知らされた娘、セリーナ・クレイボーンが地元に帰るところから始まります。ドロレスは老婆にのしかかり刃物をつきつけていたところを発見され、以後彼女の一人称視点から事件の真相が明かされていく物語です。皆既日食の夏、夫が自分の娘に性的虐待を行っていた事実を知ったドロレスはベラの助言のもと、娘を守るため夫を井戸から突き落としました。ベラは心からドロレスを信頼しており、殺人と誤解された場面も老いた自分を看取るよう懇願されていただけでした。
 セリーナは自身の記憶に鍵をかけており、母の発言を信じることができません。フェリーに乗り込み、ニューヨークに帰ろうとした途端フラッシュバックのように過去の父の虐待の記憶が蘇り、ベラ殺害の冤罪から母を守るため刑事を前に証言。20年の時を経て母と娘の絆が復活します。ジェシーが幻視したのはまさにドロレスが夫を突き落としたその風景であり、虐待を受けていた娘を守るため罪を負った彼女に、妹を守るため自分の背負った嘘を重ね合わせ、「自分と同じだ」と評しました。
 また『ドロレス・クレイボーン』は「黙秘」の題で映像化されています。こちらも20年の時を経て、2作品がようやく同じ映像の枠で繋がったわけです。 

ホラーの「キング」だけではない

 スティーブン・キングといえば、ホラーの帝王との呼び名が彼よりしっくり来る作家はいないでしょう。「ミスト」の救いのなさ、「ペットセメタリー」の腹わたを抉るような不愉快、ストレンジャーシングス」の元ネタにされた諸作品に見られたスーパーナチュラル、更に本年公開の「イット」など、グロテスク、かつ執拗に人間の闇を描く作家として持ち上げられがちな彼ですが、映画的に最も評価されているのはおそらくショーシャンクの空に及び「黙秘」であり、更に歴年のキングファンから最もよくできた映像化、として繰り返し名が挙がるのがデッドゾーンです。こちらは未来視の能力を持った男が悪の大統領の企みを知り、一人奮闘していくやはりノン・ホラー作品であり、伊坂幸太郎「魔王」に設定が引用されるなど、ホラーだけではない面も多く見せてくれる非常に引き出しの多い作家です。
 「ジェラルドのゲーム」はその設定からやはりシチュエーションホラー作品とみなされることの多い中編*4作品ですが、誤解を恐れずにいえば本作は「ショーシャンク」系統の爽やかで晴れやかな、まさに明るい未来への脱出劇といってよい、秀作として残るべき作品です。

*1:彼の名前は「プリンス」であり、囚われの姫である主人公を救うはずの王子、としての名前をつけられています。しかし時を経て野犬と化した彼もまた主人公に対して牙をむくのみであり、頼る相手としての効果は持ち得ず、原作のラストでは撃ち殺されます。

*2:小説版ではラストの「手紙」は彼女に宛てたものです。

*3:もちろん男性的な意味で、の寓意も当然含まれるでしょう

*4:キングにしては、の意味です