差別スリラー「ゲット・アウト」なぜ首を絞めなかったのか?

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 したまちコメディ映画祭にて、話題のヘイト・スリラー「ゲット・アウト」を見てきました。事前の噂に違わない良質の社会風刺スリラーであり、他記事で触れた「ゴッド・ブレス・アメリカ」に通じるコメディアン出身監督による黒い笑いとコメディが融合した、鑑賞後の観客にその熟考を迫る内容となっています。日本では約8ヶ月遅れの今年10月公開となりますが、都内ミニシアター限定、等でなく東宝東和による全国公開となったのは非常に喜ばしいことです。

 さて、本作には近年のみならず、これまでのアメリカに見られてきた人種差別問題が細部に至るまで盛り込まれています。また一見しただけでは気付かないようなセリフ、行動、小道具ひとつにいたるまで綿密に練り込まれたメタファーが描写されており、かつ過去に同様の問題を扱っていた映画へのオマージュも盛り込まれた作品となっています。それはもちろん50年前、ジョージ・A・ロメロ監督のデビュー作であるナイト・オブ・ザ・リビングデッドです。

 日本公開前にしてすでに評価の固まっている本作ですが、タイトルの「ゲット・アウト」について一つ疑問が残ります。それは映画を見てもらえればわかることですが、本作はタイトルとあらすじのみを追って想像されるとおり、には運びません。そこには大きなミスリードがあります。また白人が黒人に「ゲット・アウト」させる=ここから出ていけ、という作品、でもありませんでした。それは本作は公開前にもうひとつのエンディングに差し替えられており、本来写すべきであった内容が変更されているからです。また本作のラスト、主人公・クリスのとったある行動には疑問が残りますが、こちらもアメリカで起こったある有名な事件、社会情勢を踏まえ、変更されています。

 以下、「ゲット・アウト」「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」の最大限のネタバレが含まれます。

「差別主義」のミスリード

 アフリカン・アメリカンであるクリスは付き合って五ヶ月になる恋人、ローズの誘いのもと彼女の実家を訪れます。白人だけが住み、黒人を召使とする高級住宅地に居心地の悪さを感じるクリスを諭すように、「我々は人種差別主義者ではない」ことを示すアーミテージ一家は、親族一同を呼んでのパーティーを開催します。そこで出会った黒人・ローガンはクリスに写真を撮影されると突然鼻血を出し、「今すぐここを離れろ」="Get Out"と告げます。その他自分に不可解な態度で接する客たちに反抗しクリスが席を外している間、ローズの父親によって行われたビンゴ大会はまるでクリスを商品とした競りそのものでした。いよいよ募る不審に自宅に戻ることにしたクリスでしたが、ローズの母親に事前に催眠術を掛けられていたクリスは地下に監禁されてしまいます。アーミテージ一家はかれらの不死のため、新しい健康な肉体を求める一族であり、ローズはその外側である黒人を誘い込むかれらの一味でした。召使2人もクリス同様連れてこられた被害者であり、その中身は彼女の祖父・祖母にすげかえられていたのです。
 かれらの手を逃れ、悪魔の一家を次々と殺害し最後に残ったローズの首を絞めるクリス。その前にパトカーが現れます。傍から見れば黒人男性が無力な女性にのしかかり、首を絞めているようにしか見えない状態です。そんな中、車から出てきたのは彼の旧友・ロッドでした。彼は連絡が取れなくなったクリスを心配し、警察にかけあうも相手にされずに自ら彼を救いにきたのでした。

 誰もが共感するところかと思いますが、本作はとにかく脚本が秀逸です。特に舌を巻くのは「一般的な差別主義を通してのミスリード、ならびに「どうということのないカットから見られる社会風刺」の二点でした。

 一点目については顕著です。訪れる親族たちの「ゴルフはやるのか?フォームを見せてみろ」という質問は、黒人=みなタイガー・ウッズという偏見であると思わせておきながら、実は自身がその体に成り代わって以後のことを考えた発言です。「本当にすごいの、黒人とのセックスは?」と尋ねる女性も、自分の旦那がそうなったときのことを考えています。何よりもうまいのはアーミテージ家に向かう途中、身分証の提示を求める警察官とそれを静止するローズです。この場面ではローズが警官の差別主義的な態度に不快感を示しているようにしか見えませんが、もちろんこれは本来そうなるべきであったクリスの失踪後、アーミテージ家に嫌疑が向かないようにしているだけなのです。観客たちはあくまでも「確かにそういうことはある」と思っている分、ローズの企みが明らかになると同時に自らの中の差別意識に気付かされる非常に秀逸な構成となっています。

 そして二点目。気づきづらいところでの風刺ですが、まず触れたいのが催眠術に用いられる銀のスプーンです。"Born with a silver spoon in one's mouth" という慣用句が表すとおり、silver spoonは「上流階級の相続財産」を意味します。本作でのスプーンは催眠の道具というだけではなく、特権階級として位置するアーミテージ一家が、財産としてクリスの肉体を所有する、ということの隠喩になっています。
 またローズの母がタバコを辞めさせようとクリスの健康面に気を使うのも、新しいホストが不健康であってはならないためです。中盤の競りのシーンに顕著ですが、黒人奴隷はその健康度合いによって値が変わります。また革の椅子にしばりつけられていたクリスが綿を耳栓とすることで難を逃れますが、これはもちろんプランテーション農業時代に黒人奴隷がcotton-picking、すなわち綿花積みによって酷使されていた時代を明示しています。また父親・ディーンがクリスに家を案内するシーンで触れられる「地下室の黒カビ」="black mold in the basement" は、当然その後のクリスの運命を予言したセリフですし、後半、本作を象徴するあるシーンにてローズが飲む白い牛乳、食べるカラフルなシリアル、咥えられる黒いストローはそれぞれが決して混ざり合わないように使用されます。

 最後にクリスの職業である「フォトグラファー」です。劇中、彼が写真を撮ることでアンドレ、およびローズの祖父が入り込んだ召使が正気に戻るシーンがあります。これは2016年、白人警察官による黒人=アルトン・スターリングの殺害が携帯のカメラで撮影されて以降、カメラのフラッシュ=市民による撮影は白人警官に対する暴力への抑止力となっているからです。白人が黙り込んでいる間、sunken place=精神のくぼみに追いやられていた黒人の意識が浮かびあがり、正気を取り戻す、という現在の事件を象徴した隠喩になっています。

 というように、黒人奴隷の歴史にまで言及しつつ、まさにいまのアメリカにある差別と問題を突きつけてくるのが本作「ゲット・アウト」です。

もうひとつのエンディング なぜ、首を絞めなかったのか?

 さて、本作にはもう一つのエンディングがある、と触れました。米国版DVDに収録されているそちらのエンディングではパトカーから出てきたのはロッドではなく通常の警官2名。クリスは逮捕され、ロッドとの会話で終身刑に処される可能性があることがありながら催眠術の後遺症により事態をうまく説明できず、「止めたかった、止めなければいけないと思った」と繰り返す彼を外界から隔絶する鉄格子が閉ざされ、映画は終わります。映画のタイトル=「出て行け」、転じてGET (ME/HIM) OUT=「出してくれ」を伝えつつ、「Brother、ここから逃げろ、早く!」と告げるエンディングテーマ曲「Sikiliza」を流す、映画の収まりとしてはこちらのエンディングが適している、というのは見れば明らかです。が、前述のアルトン・スターリングの件、ならびに2014年のエリック・ガーナー窒息死事件を皮切りとした2017年現在にも通じる黒人差別のあまりにもな悲惨な現状を経て、このような希望のあるエンディングに変更されたのは致し方ないことかと思います。そして彼を救うのがやはり黒人のロッドであること、更にロッドが警察に駆け込んだ際一笑に付したのもやはり黒人の三人組であることなどから、作品自体の全体的な風刺色は決して薄まっていないのはポリティカル面でうまいところだ、と思います。

 それでも作品上撃ち殺すべきだ、という声もあるかと思います。そして50年前、実際にそれを行ったのがジョージ・A・ロメロ監督ナイト・オブ・ザ・リビングデッドです。2017年の今――もちろん、今行われている差別を肯定するものではありません――とは比較にならないほど黒人の社会的地位が低かった時代、ラストシーンに「白人警察官に黒人主人公を射殺させた」のがロメロでした。しかし本作ではクリスを通じて描かれるのは白人社会への怒りではありません。それはローズの首を絞めながらも手を緩めるのが、明らかにエリック・ガーナー事件を踏まえての描写であるといえるからです。
 本来のエンディングでは、クリスはローズを本気で殺すつもりで首を絞めているところにパトカーが到着し、クリスは逮捕されます。ですが実際のエンディングではクリスは事前に手を離し、そこにパトカーに乗ったロッドが登場する、という明確な変更が為されています。
 同事件において、エリックは警官・ダニエルに絞め技をかけられたのち地面に顔を押し付けられ、11度にわたり"I Can't Breath"=「息ができない」と繰り返し、息絶えました。ローズの首を絞める、という行為は自らがその加害者側に加わることを示します。そしてそれを補強するように、本作のオープニング、アンドレが誘拐された際、彼はヘッドロックをかけられまさしく首を絞められていました。
 そのためにクリスはローズを殺すことはできなかったのです。

コメディアンと政治

 本作の監督はジョーダン・ピール。本作は長らくコメディアンとして活躍してきた彼の監督・脚本デビュー・フィルムとなります。「ゴッド・ブレス・アメリカ」でも触れましたが、アメリカではコメディアンによる政治風刺、ならびに社会的主張が日常的光景となっており、悪列な政治家を笑い飛ばし、当日のうちに記者会見を笑いのネタに変え、視聴者が今目を向けなければならない問題を突きつけてきます。これは別に2010年代に始まったことではありません。細部はエディ・マーフィーウーピー・ゴールドバーグの出現と差別を背景にしたコメディアンたちのドキュメンタリー映画 "Why We Laugh"(邦題:ブラック・コメディ〜差別をぶっとばせ!)に詳しいですが、黒人たちの魂の叫びとして、笑いは昔から機能してきました。

 「ゴッド・ブレス・アメリカ」は興行的に成功はしませんでしたが、本作はホラーという体裁を取ることで全米ナンバーワンヒットを飛ばし、まさに「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」の再来と呼ぶことにためらいのない傑作となっています。

 試写会時に気づかなかった多数の伏線について、上記記事で補足しています。国内でもヒットとなれば良いのですが、ブレードランナーが強そうですね。