アメリカ、コメディアン、 「ゴッド・ブレス・アメリカ」

ゴッドブレスアメリカ

 少し前の話題になりますが、町山智浩氏がラジオ番組「たまむすび」にて茂木健一郎氏の発言を引用し、アメリカのコメディアンが行う政治批判について話していました。日本在住の身としてはそもそもスタンダップ・コメディという形式に馴染みがなく、早口かつ米在住者に寄ったジョークも多いためYoutubeから動画をかいつまんで見てみてもいまいち楽しみづらい、というのが現状です。

 そもそもスタンダップ・コメディって何? その発祥と社会的意義は? という疑問の解決は同氏の素晴らしい解説に譲るとして、本記事では「コメディアンのブラックジョーク」を垣間見る一端として、ゴッド・ブレス・アメリカについて書きます。本作の監督はボブキャット・ゴールドスウェイト。15歳から43歳までの28年間スタンダップ・コメディ界のスターとして活動後、映画監督に転身。コメディアンならではの黒い視点に溢れた本作で描かれたのは、明確なアメリカの死と腐敗、そしてそれに対する批判、諦観です。

 以後、最大限のネタバレが含まれます。

本作のあらすじと元ネタについて

 妻と別れ、仕事もクビになった中年男フランク。壁の薄い狭いアパートの中には隣家夫婦のバカ騒ぎが毎日のように響く。深夜にひとり流すテレビを埋め尽くすのはセレブ・ゴシップ、ヘイトスピーチ、オーディション番組に参加し音痴を披露した知的障害者を笑いものにする視聴者たち……。致死性の脳腫瘍を告知されたフランクは、セレブ密着番組、誕生日にリムジンを買ってもらえず駄々をこねるわがままなティーンエイジャーに自分の娘の将来を見、自らの信じるアメリカの倫理のため、番組に出演していたセレブ娘・クロエを殺害します。その場面を見たクロエの同級生・ロキシーはフランクの意に賛同し、映画館で騒ぐ若者、ヘイトスピーチを先導するテレビショー司会者、モラルに欠けたアメリカ人を次々と殺害、最終的にオーディション番組「アメリカン・スーパースター」への自爆テロに至る……、いわゆるビジランテ=自警団ジャンル型、ブラックコメディ映画です。
 同様のジャンルとしてはチャールズ・ブロンソン主演「狼よさらば」マイケル・ケイン狼たちの処刑台、ケイン・ベーコン主演狼の死刑宣告、はてはジェームズ・ガン「スーパー!」などがあります。更に遡ればジャック・リッチーの短編小説「歳はいくつだ?」も挙げられるでしょう。事実、自らの死期を悟り殺戮の旅に出るもそれが勘違いだった、という本作のプロットの一部はイギリスのブラック・コメディ「Parting Shots」(日本未公開)に酷似しています。

 ですが本作が明確にそれらと異なるのは、「家族を殺された」「知人を殺された」「妻を(マフィアに)奪われた」=からそれらを行ったマフィアに自ら鉄槌を下す、というような、行動を促す直接の原因としてのわかりやすい悪役が存在しないことです。あくまでもアメリカ市民の視点からみた現在のアメリカの腐敗について躊躇なく描き、彼らを告発、殺害します。これは長年アメリカ人から見たアメリカを批判してきたコメディアンである監督特有*1の視点といえるでしょう。

アメリカを殺すということ

 まず本作で槍玉に挙げられるのは少し前のアメリカで一世を風靡したリアリティ番組、「カーダシアン家のお騒がせセレブライフ」です。スキャンダラスな恋愛模様、庶民とは明らかに桁の違う浪費などが話題になり2017年現在もシーズン13を放送中。FOX TVの行うティーン・チョイス・アワードでは昨年もReality Show部門を受賞しました。ティーンのスターであるセレブの生活は非常に刺激が強い分、10代の性格を愚かしくわがままに変えていく要因として、本作をあからさまに模した番組の一家は真っ先に処刑されます。同様にメディアによる民衆の堕落を描いた作品としてはジョン・カーペンター不朽の名作「ゼイリブ」がありますが、こちらでは低俗な番組を作り大衆を洗脳する存在を宇宙人とすることによって一定のユーモアを持たせていました。しかし本作ではそれらの比喩を用いることなく、極めてリアリスティックな殺害そのものがまさに血をもって描写されます。
 コメディアンがユーモアを捨てたとき、暴力は極めて直接的に表現されるのです。これは中盤の差別主義者たちを銃撃、轢殺後に海に捨てるシーンでも表現されています。差別主義デモ隊に車で突撃するこのシーンはおそらく「ブルース・ブラザース」の引用ですが、同作ではネオナチは車を避けて川に飛び込むという明らかなコメディタッチで描かれていましたが、本作では血と暴力の跡をそのまま見せることで、風刺を超えた怒りを表現しています。

 映画の最後では、「アメリカン・アイドル」の模倣番組に出場した、明らかに頭の弱い青年と彼を笑い者にする審査員、及び観客たちが次々銃殺されていきます。番組参加後に自殺を図り、侮蔑の対象としてではあるもののスターとして扱われた彼は「自殺しようとしたのは世間から叩かれたからじゃない。テレビに出られなくなると思ったからだ」と述べます。
 スティーブはフランクの銃弾に息絶えますが、彼には明確に元となった人物がいます。2005年、アメリカン・アイドル予選にてその歌とパフォーマンスを審査員三人に失笑されたポーラ・グッドスピードです。彼女はテレビ放映の3年後、その当時の審査員の家の前で薬物過剰摂取による自殺を図り、そのまま死亡しています。リアリティ番組において、映画よりも酷いことが実際に起こっていた、というわけです。

 本作では「アメリカン・アイドル」=明確な敵、腐ったアメリカの象徴として描写されます。「もし私が天才科学者ならアメリカン・アイドルの投票番号にかけると爆発する電話を開発するんだがね、顔にあざが残れば、会話を避けるべき相手を判別できるようになる……」の下りは、2009年のスタンダップ・コメディの場で語った内容がほぼそのまま引用されています。この人本当に「アメリカン・アイドル」嫌いなんだな、というのがよくわかりますね。

 

諦観、そしてラストシーン

 本作はアメリカの堕落、倫理の欠落についてあまりにも直接的に描いているため、極めて説教的な映画になってしまっています。同じくコメディアン監督の開祖チャップリンの「独裁者」同様、ラストシーンは主人公のスピーチで幕を閉じます。撮影カメラに切り替わるカットから始まるその演説はあまりにも悲痛な叫びであり、監督の怒り、あるいは祈りでもありますが、そこにユーモアのセンスはありません。過去、コメディアンとして活動してきた監督が「もうこいつらには比喩を交えても無駄、直接言わなければだめだ」と考えたのであるとすれば、その現象もまた極めて悲哀を誘うものになっています。以下、演説の書き起こしです。

俺はフランクだ*2、それはどうでもいい。問題はあんたが誰なのかだ。今のアメリカは残酷で悪意に満ちている。底が浅くて愚かで自分勝手で不快な連中がつけあがり、もはや良識も常識も失って恥とすら思わない。
善悪の区別もない。実に低俗な連中が尊敬され賞賛される。嘘をつき、恐怖を広めてもお構いなし。金さえ儲かるのならな。国家*3はスローガンを並べ立て怒りをぶつける扇動家だらけ。優しさを失い、魂を失った。この国はどうなってるんだ、社会の弱者を祭り上げて笑いものにするだなんて。

 本作におけるフランクとロキシーは「地球最後の男」におけるレジェンド=伝説の怪物、すなわち古きアメリカ精神そのものであり、ラスト彼らが大衆の面前で銃殺されるのは、いわば「グラン・トリノ」に通ずるアメリカの死――、とりわけ本作でクローズアップされているのは、もちろん倫理面での死、そして時代が腐った方向に変わってしまった、という諦めのメッセージです。
 また本作のテーマとしてほぼ誰もが見逃すかと思うカットがありますが、オープニング始まって10分前後、お気に入りの受付嬢にフランクが貸し付ける本は「高慢と偏見とゾンビ」です。同作品は旧き時代を書いた「高慢と偏見」の文章をそのままに「ゾンビ」を至る所に紛れ込ませたスラップスティックマッシュアップノベルであり、この作品を登場させることで本作は「ゾンビ=腐りきった人間たち」の入り込んだフランクにとっての「古き日のアメリカ」を書いたもの、であることを表現しています。

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 この点も含め、アリス・クーパー"I Never Cry"をバックにブラックアウトした画面に映し出される「god bless america」=アメリカ万歳、ないし「アメリカに神の恵みあれ」、という言葉は壮絶な皮肉として映画の最後を彩ります。本作は米国でも日本でもあまりヒットはしなかったようですが、ユーモアを捨てたコメディアンの怒りが爆発した、私の中では心に残る一本となっています。

告知

 あまり語ることの多い映画ではないのですが、コメディとは何か? 風刺とは何なのか? ということを考える点で、「風刺を武器にしていたコメディアンがすべてのベールを捨て、暴力と主張を全面に押し出した快作」として、今見るべき作品であると思います。アメリカの政治風刺コメディについては、正直なところ日本に住んでいるとわかりづらいところも多いです。昨今は幸いにもNetFlixにてスタンダップ・コメディが多数配信されているため、見ることも少なくないのですがどうも笑いのタイミングが掴めなかったりと、なかなか状況そのものを真に楽しむ、というのは難しいと感じています。そういった意味ではセス・ローゲン「ザ・インタビュー」の日本版DVDを待ち焦がれているところですが、いい情報はどうやら未だに入ってきていないようです。

 最後に、先日の「新感染」レビューについてお陰様でご好評をいただきまして、ITmedia様にネタバレなし版のレビューが掲載されています。

 引き続きよろしくお願いいたします。

*1:極めて「サウスパーク的」クリティシズム、「悪質な冗談」という方がわかりやすいかもしれません

*2:「フランク」にはもちろん、「フランクな態度」=正直に、ずけずけ物を言う、という意味もあります

*3:吹替版では「国民」となっていますが、ここは"Nation"の明らかな誤訳でしょう。